- 2007-04-22 (Sun) 13:55
- kenken
13、4歳の時の目標とゆうか野望が十代の内にソロアルバムを作る事とベースマガジンの表紙をやることだったことを、本屋で平積みになってるのを見て思い出した。(実際には19歳の時何人かの集合でベースマガジンの表紙には載った事あんだけどね)
なんでそんな事思ってたかってゆうとね。
とりあえずうちの中学校は平和だったんよ。
その学校で俺は学校には一週間に一回来るかどうかで、たまに来たら給食だけ食って帰る、学校来ないときは家で一日中ベースしか弾かない顔がやたら濃いのにクマすごくて顔色悪いロン毛の変なことばっかり言ってる奴だったわけよ。
まぁようは変人よね。
男の子女の子含めて友達は沢山いたよ。
なんかでもある意味レアポケモン的なね(笑)
やっぱり俺の生活とかに一線ひかれてたんだよね。(今考えれば当たり前だけど)
もちろん今も遊ぶ大切な友達もいるよ。
いろんな先生にも「そんな一生続くかどうかも食って行けるかも分かんないそんなちゃらちゃらしたことしてないで学校来なさい」
とか言われちゃってさ。
笑顔とゆう中指立てて、やっぱり学校なんかくるもんじゃない、一般社会の流れなんて夢も希望もないクソだって思ってたんよねぇ。
で、その目標達成したらみんながやっと俺の事とか生活を理解してくれるかななんて思ってね。
でもね中学校にね、大好きな先生がいたんです。
加藤先生といって一年生の時に担任の先生だったんだけど、すごい面白い先生だったんよ。
たまーに学校行くと「金子は勉強しないねぇ、毎日何してんの?」
「ベースが大好きで家でずっと弾いてます、ベース弾いてると気付いたら学校終わる時間になってるんですよ。」
「わははは!そんな音楽好きなんか!いいな!」
とか言ってくれちゃうのよ。
加藤先生も音楽が大好きで沢山沢山レコードもってて、小テストのときなんて「金子どうせわかんねーだろ?」とか言ってやれあのレコードが良いやれこれが良いって話をよくしてくれたのよ。
ほんとに加藤先生が大好きで加藤先生の授業がある日はちゃんと学校行く用になったんだ。
でも加藤先生の授業が途中でなくなっちゃてまた全然学校も行かなくなっちゃたんだよね。
んである日友達から電話で「加藤先生が学校やめるらしいよ、明日学校で送る会があるらしい」って聞いてさ。
んで会いにいったんだけど、寂しさと照れで言いたい事言えなかったんだよね。
「必ず誰もが認めるベースヒーローになります、それが叶った初めてのLIVEに必ず招待します、あなたがいなかったらほとんど学校にも来なかった、ありがとう」ってさ。
もーそれ思い出しちゃってさ、本屋で一人涙ですよ(笑)
ソロアルバムとか聴いて欲しいよ。
でもあんなに音楽に詳しい人だったからきっとどこかで情報聞いて知ってくれていたらうれしいな。
そしてなんにもわかってくんなかった他の先生にも聴いて欲しいよ。
実はこのホームページよく見てるとかそうゆう奇跡を信じてこの場を借りて言わさせていただきます。
「少しはあなたの趣味の音楽ができていたらうれしいです。
あなたに話したいことが沢山沢山あります。
一緒に飲み行けたら最高にうれしいです。
加藤先生ありがとう」
金子 賢輔